カナダ人と友達になるのは、本当に「ムズカシイ」 のか。3

<関連エントリ:カナダ人と友達になるのは、本当に「ムズカシイ」 のか。


“日本に行ったことがある”と言うカナダ人の男性と、私を含め日本人女性2人とで、一緒に話す機会があった時。(会話は英語。)

彼に日本での生活はどうだったかと聞いてみると、

”日本語は難しいね~。
東京の大学に留学してたんだけど、ちょっと親しくなりかけてた日本人の女の子がいて、ある日映画に誘ったんだよ。
そしたら、‘(その日は)ちょっと・・・'って言われて、僕結構日本語には自信あったんだけど、’ちょっと’がYESなのかNOなのか分からなくて、でも明確な返事があるんだろうと思って待ってたけどその後何も言ってこないしで、すごく困惑した。”

“ 'ちょっと'かあ~。たしかにそれは分かんないかも! それでその後どうなったの?”
と私たちが聞くと、

“ 'ちょっと'の意味を辞書で引いたけども分からなくて、日本人の友達に聞いて、やっと分かったよ。
腹が立つまではいかないけど、もうちょっとはっきり言ってくれればいいのに・・と思った。
それにしても日本語は難しいよ。
 'ちょっと'って、a little(少し)って意味でしょう?”

とすました顔で彼が言うので、私たちは笑ってしまった。


“日本人はできる限りNOとは言いたくないからね。・・・いやでも英語でだって、遊びの誘いを断るとき 'NO!' とは言わないじゃん。もっとソフトに、回りくどく言うじゃない?”と私。

“それもそうか。そんなキツイ言い方してたら友達いなくなるよね。”

“同じだよ。”

"だからって、'a little' とは言わないけどね。"

"ははははは・・・"


★★★★★

また別のある日。

別の日本人の女友達と話していると、、
「ちょくちょく一緒に遊ぶ男性(カナダ人)がいて、この間もちょっと遠くまで一緒に出かける約束をしてて、すごい楽しみにしてたんだけど、ドタキャンされたんだよね。
なのにその人"Sorry"も言わないし、ドタキャンしたことに対してとくに申し訳なく思ってる感じもないしさ。ほんとワケ分かんない!」
と言う。

私が、
カナダで私もドタキャンの多さに戸惑った経験が何度もあること、
バンクーバーという「他民族都市」で暮らしてみてわかったのは、ドタキャンをよくするのは何もカナダ人に限らないということ、
また日本人と他の国の人の考え方の違い(カナディアンと盛り上がった、カルチャーの話「約束」に対する考え方の違い)などを話すと、

「はぁ~、そうなんだ。それならなんか納得できるかも。。。」と彼女の怒りは段々収まっていっているようであった。

(ただし、○○人だから絶対にこういう考え方をする!と決めてかかるのはキケンでもあるから、「カナダ人だからって、皆が皆そうではないけどね。」と付け加えておいたが。)



自分が生まれ育った国とは違うカルチャーの国で生活をすると、
「相手の言動が何を意味しているのかわからない」ということが少なからず、というか、必ずある。

同じ国、同じような環境で育った、同じカルチャーを共有する人同士であれば、
自分はこう言った(した)から、相手がこう言うだろう、こう動くだろうというのは、(ある程度は)予測がつく。

けれど言葉も考え方も価値観も違う、バックグラウンドの異なる人間同士の場合は、それがもっとずっと難しくなる。


上の二つの話、2人とも相手の言動に混乱したと言っていたけれど、でも私はどちらも良い「経験」だったんじゃないのかな、と思う。
もしかしたらそれが、彼らにとってのcomfort zone(快適空間)を抜け出すきっかけになった、かもしれない。(“comfort zone”を抜け出せ。)


恋愛関係(恋愛関係が異性間だけのものとは限らないけれど。とくにバンクーバーに住むとそう感じる。)に限らず、“ニンゲン”関係において、相手のカルチャーを理解する/しようと努めることは強力な潤滑剤だ。


★★★★★

私が個人で受けていた英語のレッスンの一環((“リアルな経験”の中で生きた英語を習得))で今年アメリカ(サンフランシスコ、ロスアンゼルス、セコイア国立公園、ヨセミテ国立公園と、カリフォルニアの海)に行ったメキシコ人の生徒さんたち。②-2 *顔写真掲載の許可を頂いています。

カリフォルニアビーチ6

カリフォルニアビーチ4

カリフォルニア44

カリフォルニア45

カリフォルニア46

カリフォルニア37

カリフォルニア28

カリフォルニア29



*お知らせ*
私がバンクーバーで英語を習っていた先生が、9月に再来日する件に関しまして、先生からのメールがまだ届いていないという方がおられました。もし他にもまだ届いていない方いらっしゃれば、ご一報下さい。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

「最低賃金を下回る時給」を上げるために、必要だったこと。

バンクーバー、カナダプレイス
(↑バンクーバー、カナダプレイス。)

ワーホリでバンクーバーのESL(語学学校)に半年間通った後、カナダ人雇用主のもとで仕事を始めた日本人女性が、「仕事を見つけることはできたが自分の英語に満足はしておらず、やはり英語に自信をつけたい」と、私が以前個人で英語を習っていた先生のレッスンを受けるようになった。

彼女はレッスンでその仕事の話をよくしていたそうなのだが、
”時給の話をしたら先生に頭を抱えられてしまった”、と言う。

なぜなら、カナダでは州ごとに最低賃金が決まっており、バンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州でも「時給の最低ライン」というものがあるのだが、
その仕事の時給は完全にそれを下回っていたから。

でも彼女はその仕事が好きで、雇用主も好きだし、あと売上によってはわずかながらボーナスもつくし・・ということで、とくに不満にも思っていなったそうである。

とは言え、最低賃金以下で働いているという事態を改善するため、レッスンで先生は彼女に、雇用主に交渉をしてみるようアドバイスをしたそうである。

以前、カルチャーを使って問題解決で、先生の生徒の一人が、仕事を紹介してもらうためにエージェントにお金を払っていたが、最初の面接までに1ヶ月以上かかり、さらにやっと見つかった仕事も思っていたものとは全然違うということでエージェントに返金交渉をし、見事全額返金された一件と同様、
今度はカナダ人が相手なので、英語で、英語/カナダのカルチャーを使って、具体的にどう言えば良いのか彼女は詳細なアドバイスをもらった、という。

結果、彼女の時給は3ドル近くも上がったらしい。(それだけ最低時給を下回っていた、ということである。。



立場が弱く、英語(のカルチャー)もうまく使えない外国人と見透かされると、
働いても最低賃金を下回る時給だったり、
本来なら返ってくるのが当たり前のはずのデポジットを返してもらえなかったり(英語のカルチャーの中でどう考えて、行動するか。)と、
知らぬ間に(また知ってはいてもどうしようもできずに)
カルチャーを知っている側の人間にとってのみ都合がいいように状況になっていることがある。

・・・セクハラだって同じことだ。(日本人がカナダで一番セクハラを受ける理由。

★★★★★

時給が上がった彼女のコメントは、”びっくりした。言ってもどうせ変わらないだろうと思ってたから。3ドル上がったら、一ヶ月働いたら相当違う。嬉しい!”である。

私はそれを聞いて、言ってもどうせ変わらない、というのは、まさしく私の以前のメンタリティだったな・・と思った。


私がバンクーバーに渡ったばかりの頃、居心地の悪いホームスティをしていたとき、実際にそう思っていた。

当時はESL(語学学校)に通っていたので、同じく留学生のクラスメイトに相談して、”話し合うべきだよ”と言う友達もいたのだが、では具体的に何と言ったらいいのかということは誰にもわからなかった。(今思うと、カルチャーを知らない者同士でいくら考えたって、何と言えばよいのかなんてわかるはずもなかったのだが・・。)

なんとか状況を打開しようと、ホストファミリーと必死に門限延長の交渉を試みたが、
"あなたはこの家のルールに従わなければならない!"怒鳴られただけで、何も変わらなかった。
ホームステイのトラブルと、その対処?

その後も不満は募る一方であったが、怒鳴られたトラウマは消えず、また何かを言おうという気にはとてもなれなかった。

ESLに通って、英語の「単語や文法の知識」は(一時的にしろ)増えていたはずだけれど、
実際の問題は解決できなかった。

★★★★★

デポジットも最低賃金もホームスティもセクハラも、相手は”英語の・カナダのカルチャー”を使ってきているのだから、
もし相手の要求を変えたいと思えば、こちらも同じ武器をもたないと対等に応戦することはできないのである。

その最低賃金を巡る交渉をした彼女にとっては、交渉が成功したということが「自分でも英語を使って事態を動かしていける」ということを実感した瞬間であったらしい。

私がそれを実感したのは、図書館で本を読んでいたときに声をかけてきた男性に考えるまでもなく ”あなたには関係ないでしょ?”と言って退散させた出来事(街で声をかけられた・・・さてどうする)だった。そしてそれがその後の‘れっきとしたセクハラ’への対応に繋がった。(英語圏の国で英語のカルチャーを知らずに暮らす、弊害。


私も彼女も、以前のメンタリティのままだったら、
今もまだ同じようなことで苦労していたかもしれない。



*お知らせ*
先生が9月に再来日する件に関しまして、既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。最近先生のパソコンの調子が悪く、ご連絡が遅れているようです。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

英語は本当に「勉強しなくてはいけないもの」、なのか。

「英語が話せるようになりたいから、勉強しなくちゃ!」
と言う人に出会う度、思う。

そもそも、英語は「勉強」するものなのだろうか・・・と。

なぜなら私にとって、英語は「勉強」というよりも、「遊び」だったから。


私はカナダでESL(語学学校)に通い、文法や単語など多少の知識は(一時的には)ついたかもしれない(ただ暗記したって忘れるだけだから)が、
でも肝心の英語が話せる状態にならず、
私は個人で英語を教わるようになった。

当時は言いたいことが英語で言えなくて、自分は幼い子どもにかえったかのように感じていた(英語を話す時と日本語を話す時の精神年齢は同じ?)し、
留学生同士の英語(それもアジア人に限る)ならまだしも、ネイティブイングリッシュスピーカーが言うことなんて半分以上聞き取れないので、カフェで注文をするのさえまごまごしてしまう状態だった。
だからレッスンを受け始めた頃は、先生の言うことが理解できるかと緊張して身構えていたものだったけれど、
”レッスン”なのに教科書もノートもワークブックもなかったので(ハタから見るとただお喋りしているだけに見えたらしい→英語と日本語の垣根を超える?!)、「ああ、ここでは最初から暗記することは求められてないんだな」、と思ったら途端に気が楽になったのを覚えている。
(とは言えレッスンの密度は濃く、毎日レッスンが終わる頃にはそれまでの”旧い知識”とレッスンで習う”新しい知見”が頭の中でせめぎ合いをしているような感覚がよくあったが。
また先生は日本語も話せるので、以前教えた日本人生徒の中には、始めレッスンの90%が日本語だったが、2ヵ月後には100%英語になっていた人もいたらしい。)


そのレッスンを受けるようになって以来、私は英語の教科書を読んだり、問題集を解いたり、単語を書き取ったりしたことが一度もなく、
またそういうことをしなくなったら英語が話せるようになったので、
英語を「勉強」するという表現がどうも私にはしっくりこないのである。

机にかじりついて単語帳や文法書を丸暗記するのが好きで好きでたまらない、という人であればよいが、
私にとっては、そんなの面倒で、退屈で、効果も感じないことだったから、
英語に関しては自分が「好きで、楽しい」と思うことだけをするようにしていた。(英語のためにする、楽しい「努力」と、楽しくない「努力」。

今思うと、”机上の勉強”を捨てて、カナダのカルチャーを実際に”経験”することができるボランティアスタッフをしたり、カナディアンの友達と遊びに行ってマリファナをすすめられ(て断っ)たり(マリファナとカナダの深~い関係)、カナダ人宅のファミリーディナーに招いてもらったり(カルチャーはすべての言語のベース。)していたのが私にとってはまるまる”勉強”だったのだと思う。

★★★★★

ただし日本の学校教育で英語を学んだ私もかつては、机について英語を「勉強」するという、そんな面倒で退屈で効果もないことをすることこそが「英語の勉強」なのであって、それだけが唯一の方法だし、それ以外に方法なんてありえないのだと、完全に思っていたけれど。

英語という“学問”においては、その過程で苦労をすることこそが大切なのであって、結果(話せるようになるかどうか)は二の次なのだという、周囲の大人たちの”アドバイス”もあり、知らず知らずのうちに、「英語は難しいものだ」と思い込むようにもなっていた。

カナダに行くまでずっとそうだったし、カナダでESL(語学学校)に通うようになってもまだそう思っていた。


でも今の私は、英語に限らず言語は”ツール”、道具である以上、過程がどうであれ、使えないと何の意味もないと思う。

★★★★★

私が日本で受けた教育は、今思い返してみても、先生が生徒に授業中発言するよう本気で促していたのは、一学期に一度あるかないかの参観日だけだったと思う。

それ以外の日は、授業中は黙って静かに先生の言うことを聞く、ようにいつだって求められていた。

だから”黙って授業を受ける”ことに慣れきっていた日本人である私(と、日本と似たような教育を受けていたらしい韓国人の友達)は、ESL(語学学校)で他の国々から来た人たち、ヨーロッパや南米や中東からの留学生達が、授業中でもおかまいなくしゃべりまくるということに驚き、圧倒された。(英語でミスすることを、怖れない。日本語で言い間違えても謝らないのに、英語で言い間違えたら謝る日本人。を参照。)

私のように、「黙って何を考えているのかわからない人」よりも、(たとえ文法も発音もめちゃくちゃでも)発言をする人の方が強いから、授業は当然彼らのペースで進むことになる。

そうして私はますます自分の英語に対する自信を失くしていった。

私がESLの授業で学んだ内容が日本とまったく同じ(単語と文法)なら、私の授業中の態度だって、日本にいた頃の英語に対する態度(先生の言うことを黙って聞き、テストで良い点をとろうとすること)とまるで同じだった。

★★★★★

英語は「勉強」するものであると思えば、単語帳を丸暗記しようとしたり、問題集で全問正答しようなどと思い、
結果英語が本当に”難しいもの”になってしまう。
でも英語は、遊び、ゲームだと思えば、そんなことしようなんて思わなくなる。

ゲームなのだから、わざわざ自分から回り道な方法(=単語と文法を暗記すること)から入って生真面目に「勉強」するのではなく、
最初から一番手っ取り早くて楽な方法(=英語を効果的に勉強する)でマスターしてしまえばいいんだな、と私は思うようになった。


<関連エントリ:
「英語が話せる」ということと「学校の成績」の、関係?


★★★★★


私が個人で受けていた英語のレッスンの一環((“リアルな経験”の中で生きた英語を習得))で今年RV(キャンピングカー)でロッキー山脈へ行った生徒さんたち。(*顔写真掲載の許可を頂いています。去年のRV旅行の写真は→英語は練習すれば上手くなるという、幻想。

Rockytrip8

Rockytrip7

Rockytrip9



*お知らせ*
先生が9月に再来日する件に関しまして、既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。最近先生のパソコンの調子が悪く、ご連絡が遅れているようです。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

英語を話しているつもり・・なのに“不自然”になってしまう、理由。

<関連エントリ:英語でもなければ、日本語でもない、mix語会話。

バンクーバーでESL(語学学校)に通っても英語が話せるようにならず焦っていた私が手当たり次第に読んだ(日本語で書いてある英語の勉強法についての)本の中に、
「生まれてからずっと日本語しか使ってこなかった人間が、急に英語で考えろと言ってもそれはムリな話。
最初から日本語で考えてそれを頭の中で英語に変換した方が良い。」
というようなことが書いてあった。

当時は、「やっぱりそうなのか・・。日本語を英語に脳内変換するには、英単語をいっぱい知らないと難しいよね・・」と思ったので、
後日私は英単語帳を購入。(とは言えそれにはほぼ目を通すことなく図書館に寄付することとなったが。→覚えた英単語の数=スピーキング力?

とくに長い文章を言いたいときなど、頭の中だけで言いたいことを逐一英語に翻訳するというのは難しく、日本語で一旦紙に書いてから、それを一語一語英語に直していく、ということも時にしていた。


私の英語学習はまさに試行錯誤の繰り返しであり、
英語の勉強法に関する本やネットや雑誌に書いてあること、周囲の人間から聞いたこと・・
たくさんの方法を試したが、
結局私には一つの方法しか必要なかったと、
今となってはよくわかる。

カルチャーから学ぶ、ということだ。


自身の経験から、私は一旦日本語で考えたものを英語に変換して話す、というのは
本当に効率的な学習法だとはどうしても思えなくなった。

なぜなら、私の場合一度日本語で考えたことを頭の中で英語にするとき、
それが”直訳”になってしまって、
自分では完璧に「正しい英語」を話しているつもりでも、
英語のカルチャーが抜け落ちてしまっていたことがよくあったから。

以前、自然な英語が話せるようになるための公式は「 英語のカルチャー + 英語の単語 」であると書いた(自然な英語が話せるようになるための、簡単な公式。)が、
いったん日本語で考えて、それを英語に変換するとなると、英語のカルチャーと語彙が切り離されたものとなり、
「 日本語のカルチャー + 英語の単語 」という、
”言葉自体は英語ではあっても英語のカルチャーがない、不自然な英語”になっていたのである。


例えば日本人は、「すみません」とよく言う。

それが無意識に英語にも出てくるのだろう、”日本人はすごくpoliteだよね。別に謝らなくてよいところで謝られた。”、と外国人の友達から言われたことがある。(friendlyとpolite 2つの文化の違いを参照。)

個人経営の小さなお店に入る時、
”Sorry”。

ビルのドアを先に入った人が抑えて待っていてくれる時も、
”Sorry”。


・・・日本語の「すみません」は、状況によって「こんにちは」にも「ありがとう」にもなるかもしれないが、
だからと言って「すみません」を言葉通りに英語に訳しただけの"Sorry"では、
場合によっては誤解や、いらぬトラブルを招くこともある。

(日本人ほどではないとは言え、私はカナダ人は他の英語圏の国の人に比べると”Sorry”を言う頻度が高い、とは思うが。それでもやはり英語の"Sorry"を、日本人以外の人が"thank you" や "Hello"の代わりに使う場面を見たことはない。)


polite(礼儀正しい)であることには人一倍気を使う日本人、
言葉自体は完璧に「正しい英語」であるにも関わらず、そこからは英語のカルチャーが抜け落ちてしまっているために、店員から冷たい扱いを受けてしまうこともある。(カフェでコーヒーを買う度、店員から冷たくあしらわれていた理由。を参照。)


語彙さえ憶えれば英語が話せるようになるというのは
日本の6年(人によってはそれ以上)にも及ぶ学校教育で教え込まれた幻想であって、
それによって語彙を憶えてテストで良い点が取れるようになる、ということはあるかもしれないが、
英語が話せるようになる、ということは、起こりえない。

英語のカルチャーが抜けた英単語の”意味だけ”を憶えても、それは不自然な英語だから。

そしてカルチャーの経験なしで憶えたことは、どう頑張っても忘れてしまうから。


だからそれに気づいていなかった当時の私が話していたのは、
自分ではいくら英語を話しているつもりではあっても、
英語でもなければ日本語でもない、”mix語”であった。


★★★★★

私がバンクーバーで個人で受けていた英語のレッスンの一環((“リアルな経験”の中で生きた英語を習得))で今年RV(キャンピングカー)でロッキー山脈へ行った中国人の生徒さんたち。(*顔写真掲載の許可を頂いています。去年のRV旅行の写真は→英語は練習すれば上手くなるという、幻想。

Rockytrip5

Rockytrip6

Rockytrip11

Rockytrip10



*お知らせ*
私がバンクーバーで英語を習っていた先生が、9月に再来日する件に関しまして、既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

過去と未来と、英語との関係。

子どもの頃に何かを努力して成し遂げた、という経験がなく、
勉強ができるわけでもスポーツができるわけでもなかった私。(英語のためにする、楽しい「努力」と、楽しくない「努力」。

そんな自分でも、英語が話せるようになった。

英語は私にとって“初めて達成することができた何か”、と言っても過言ではない。

でもなぜ、私にもできたのかと考えると、
まずそれが楽しくて仕方がないことだったから、というのが一番の理由。

そしてもう一つは、英語は過去の蓄積とは関係ないと思えたから、なのではないかと思う。

★★★★★

私がバンクーバーで個人で英語を習ったレッスンで、始めの頃に言われたことがある。

”あなたは自転車に乗れますか。
自転車に乗れるようになるために、テキストを買って勉強しましたか?
ではどうやって乗れるようになりましたか。
転んだり倒れたりお母さんに後ろを支えてもらって走ってみたり・・・はい。経験をすることによって、ですね?
英語が話せるようになるというのは、自転車に乗れるようになるのと同じことです。” 
と。

だとすれば、もしその先生が言うことが本当なら、今まで自分がしてきたこと(=テキストを買ってするような勉強)は関係ないし、もうしなくていいということだ。

・・・もしそうなら私にもチャンスがあるんじゃないか・・・

そう思えたからだったのかもしれない。


日本での学校の英語の勉強はどんなに頑張っても中の中だった私(「英語が話せる」ということと「学校の成績」の、関係?)だけれど、
もしその「勉強」をしなくていいのなら、
これは私でも何とかなるのではないか・・?と希望が見えた気がした。

(とは言え、前回も書いた通り、「もったいない」し、プラスになることはあってもマイナスになることはないだろうと思い、それからしばらくは単語帳を眺めるなど”従来の勉強”を続けてしまった私ではあったが。。。やはり自分が慣れていることを止めるというのはそう簡単にはできなかった。またそのうち私は英語の習得は車の運転に似ているとも思うようになった。→英語は単なるツール。それ以上でも以下でもない。;2

★★★★★

「英語=単語と文法を過去にどれだけ憶えてきたか」
であると捉える限りは、
過去の蓄積が重要に思える。

でも
「英語=経験によって身につけるもの」
だと捉えるのであれば、
過去の蓄積などではなく、これから何をするか、が重要だと気がつく。


英語が話せるようになるのに、”過去にどれだけ暗記してきたか” は関係ないと言ってもよい。

英語圏の国で生まれた赤ちゃんは、暗記をするから英語が話せるようになるのだろうか。

・・・英語のカルチャーの中で経験をするから話せるようになるのである。(英語は、勉強するな。


今考えると英語が話せるようになることに過去の蓄積(暗記量)が重要ではないことは、そんなこと日本にいる間にとっくにわかっていてもよかったはずのことなのだけれど(だって私が日本の中学・高校で英語を習った先生達は、他の多くの大人より圧倒的に長い時間英語を勉強してきて、しかも試験でも良い点を取り続けてきたはずの人たちだけれど、その中に英語が話せる人は一人もいなかった、のだから・・・)。


私は完全に、過去にどれだけの知識を暗記してきたか、その蓄積を問う「英語の試験でよい点をとるための学習」と、
過去の蓄積とは関係がない「英語が話せるようになるための学習」を
混同していた。

TOEICを例に挙げる間でもなく、
英語の試験の成績がよければ、
学校の英語の授業でよい成績がとれれば、
英語が話せるようになるわけではないのだが・・・。


「英語=過去にしてきたことの蓄積」ではなく、「英語=経験によってこれから身につけていくことができるもの」と捉え直すことによって、
私はやっとそれまでの”過去ばかり見ている自分”から、”何かを達成しようとする自分”に変わり始めたのではないかと思う。


<関連エントリ:英語と 「偏差値」と「経験値」の、関係。


★★★★★

私が個人で受けていた英語のレッスンの一環((“リアルな経験”の中で生きた英語を習得))で今年RV(キャンピングカー)でロッキー山脈へ行った生徒さんたち。(*顔写真掲載の許可を頂いています。去年のRV旅行の写真は→英語は練習すれば上手くなるという、幻想。

ロッキーRV旅行2
(↑写真中央は先生。)

ロッキーRV旅行3

ロッキーRV旅行4

ロッキーRV旅行1



*お知らせ*
私がバンクーバーで英語を習っていた先生が、9月に再来日する件に関しまして、既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

日本人が英語の文法を”キライ”、な理由?

「英語の基本は、文法。文法ができるようになりさえすれば英語が話せるようになるはず!」だと言う人(日本人)に出会った。

でも彼は、「文法が、超苦手」。
「憶えても憶えても忘れる」、「文法って難しくない? あんなものなければいいのに!」
・・とも言っていた。


これまでに何度も書いてきた通り、日本人は中・高の6年もの時間をかけて、英語を「勉強」する。
その中身と言えば、単語と、文法。
この2つ。

6年もの時間をかけて学ぶのだから、日本人にとって文法とは「得意」で「簡単」で「好き」な分野であっても全然おかしくない。
でもそんなことを言う人は、滅多にいない。

むしろ私が聞いてきた中では、「文法なんてキライ。」と言う人の方が、圧倒的に多い。


私もある時点まで文法というものを”誤解”しまくっていたので、この気持ちはとてもよく分かる。

日本で英語を「勉強」し、バンクーバーでもESL(語学学校)に通ってせっせと英語を「勉強」し、
そして英語が話せるようにならなかった私は、
個人で英語のレッスンを受けるようになった。

そのレッスンで、文法を習っていたある日、思った。

私は英文法というものを大きく誤解していた。と・・・。

例えば『時制』。

その中でも「現在完了形」と「現在完了進行形」。

「現在完了形」:I have studied English for 6 years. 
「現在完了進行形」: I have been studying English for 6 years.

この二つの文章、どう使い分けたらよいのか・・・?


おぼろげな記憶だが、私が高校時代に使っていた文法書の時制の項には、「完了」やら「継続」やら「経験」やら、何だかたくさんの意味が書いてあったような気がするけれど、
結局どれがどういう場合に「完了」で、「継続」で、「経験」なのか、
・・・よくわからなかった。

学校の授業では(日本でもバンクーバーでも)、『時制』を説明する時には先生が黒板に直線を書いて、その線上に過去と現在と未来を表す3つの点を打ち、その点から矢印を左右に引いたりして説明されたが、
・・・やっぱりよくわからなかった。

だからテストなんかでは何となくこっちだろうなと思う方を書き、
当たっていれば「ラッキー」。
違っていたら一応解答を読んでみる。
けど・・・やっぱりよくわからない・・・。

だから私はこれらがどう違って、どう使い分ければ良いのか、”よくわからない”まま、放置し続けていた。

実際の会話でも、現在形(I study English.)や、過去形(I studied English.)ならしょっちゅう言っていたが、
現在完了形やら現在完了進行形なんてものは、会話では全然使えなかった。

だってそれらを一体どういう文脈で使えばよいのか、わからないのだから・・・。


それがある日のレッスンで「現在完了形」と「現在完了進行形」についての説明を聞いた時、
”そんな単純なことだったのか”と、私はもう何だか拍子抜けしてしまった。

英語は、動詞の形、原型かbe+ingか、時制が入るかどうかなどによって、パズルのように意味が決まってくる。(英語を効果的に勉強する:4を参照。)

だから最初から、「この2つはどう違うのか」なんて悩む余地は、なかったのである。

まさに目から鱗。だった。

文法に関しては、他にも「それを中学生/高校生だったときに知りたかった・・・。そうしたら、文法なんかであんなに苦労しなくて済んだのに・・・。」と思うことが、
本当にたくさんあった。

意味がすんなりとわかると、「現在完了形」と「現在完了進行形」も途端に会話でもどんどん”使える”ようになった。
「過去完了形」だって、「過去完了進行形」だって、同じことだった。


何年も何年もかけて文法を「勉強」して、日本人は非アジア言語圏(メキシコや南米・ヨーロッパ)出身の人々に比べるとずっと文法がデキる方だと思っていた(ESLの思い出を参照)のだけれど、
でも時間をかけた割には実際の場面(とくにスピーキング)では”使えていない”ということが、
日本人にはこんなにも”文法なんてキライ”な人が多い理由なのではないだろうかと、私は思う。


★★★★★

tripA3

tripA9

tripA2

tripA12
(↑私が個人で受けていた英語のレッスンの一環((“リアルな経験”の中で生きた英語を習得))で今年アメリカ(グランドキャニオン・ラスベガス)に行ったメキシコ人の生徒さんたち。① *顔写真掲載の許可を頂いています。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

英語は、暗記するな。:2

バンクーバーの花火大会
(↑バンクーバーにも花火大会がある。)



「継続は力なり」。
「石の上にも3年」。

学校で、家庭で、職場で、私は「それが何であれ、続けることに意味がある」としばしば教えられてきた。

すぐに効果が出なくても、諦めずに努力し続けることが重要なのだ、と。

たとえそれが、間違った「方法」での努力であったとしても・・・。

★★★★★

中学でも高校でも、日本人が学校で教わる英語の勉強の仕方はただ一つ。

「知識(単語と文法)を暗記すること」。

評価の基準は、知識を頭の中にどれだけ詰め込むことができたか。テストまでに、教科書に書いてあることをどれだけ憶えてくることができたか。


でもどんなに時間をかけて頑張って暗記したところで、憶えたことは、忘れてしまう。

忘れるから、”前に憶えたはず”の単語や文法の説明を何度も読むことになる。

いつも同じことをするだけだから、退屈だし飽きてくる。

結果、「英語は難しい。」となる。

★★★★★

それでも大半の人は、「英語の勉強」と言えば「単語と文法」なのだと信じて疑わない。

6年間も、ひたすら単語と文法を覚えることだけ、人間が言語を習得する最も自然で楽なステップの半分以上が抜けた「遠回りな英語の勉強」をし続けることだけを強制されるものだから、
どんなに退屈でも難しくても、これしかないのだと思ってしまう。

「単語や文法を覚えても英語が話せるようにはならない」、
ではなくて、
単語や文法を覚えようとするからこそ英語が話せるようにならない」、
ということにはなかなか気がつかない。

・・・私もそうだった。

★★★★★

日本での学校教育を終えても、そんな「遠回りな英語の勉強」を続けていた私は、
英語が話せるようになるには、日本で「勉強」し続けるより、いっそ海外に行った方が早いに違いない、と思った。

そうしてカナダに渡り、
日本語はほとんど使わない生活をすると決め、
ESL(語学学校)に真面目に通い、宿題も課題も先生に言われたとおり全部やって、
放課後は図書館やカフェに行ってまで「勉強」していたが、
ちっとも「自分が英語を話している」という気がしなかった・・・
ということはこれまでに何度も書いた通りである。


ワーホリで私と同時期にバンクーバーに着いて、私と同時期にESLを卒業した日本人の知り合いが、卒業間もない頃「たった数ヶ月学校に通ったところで、英語が話せるようになるわけないよね。」と言っていた。

ワーホリのビザがそろそろ切れるという頃、その友達と共通の友達を介したパーティで久しぶりに会ったら、
「英語が話せるようになるのに、1年なんて全然足りないよね。」と言っていた。

・・・1年どころか、私たち日本人は日本で既に6年も勉強してきているわけで、
それならあと何年あれば、英語が話せるようになるのに十分と言えるのだろうか。

3年? 5年?? 10年???

★★★★★

私が思うに、結局英語が「話せるようになること」というのは、
「場所」でも「時間」でもなく、
「方法」の問題なのである。

場所が変われば、時間をかければ、英語が話せるようになるのではなく、
どこでどれだけ英語を「勉強」しようが、
どんなにたくさん英語の単語と文法を頭に詰め込んでいてもそこから文法と単語以外の部分が抜けているということが問題なのである。


<関連エントリ:
英語は、暗記するな。


*お知らせ*
私がバンクーバーで英語を習っていた先生が、9月に再来日する件に関しまして、既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、私または先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)

my teacher in China
(↑前列左が先生。一緒に写っているのがオフィスのスタッフの人達らしい。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

英語が話せるように必要なのは・・時間?

IMG_20120803_031453.jpg
(↑バンクーバー・イングリッシュベイにて。)


海外に行けば自動的に”No”と言えるようになるわけではないのと同様に、
海外に行けば自動的に英語が話せるようになるわけでもない。
日本人がカナダで一番セクハラを受ける理由。;つづき
英語圏の国に長く住んでいる=英語が流暢に話せるではない。2
を参照。)

カナダに渡る前私が思っていたのは、
「日本では6年以上英語を勉強しても話せるようにならなかったけれど、
それは日常生活で使う機会がなかったからで、
カナダなら、毎日英語を使うんだから英語は伸びていくはず・・・」ということ。

でも実際は、カナダでいざ英語で話す機会があっても、
単語をつなげて何とか伝えようとするけれど、通じない。
相手が何と言っているのかわからなくても曖昧にうなずくことしかできない。

だから私はまるで、自分が「小さな子ども」になったように感じていた。
英語を話す時と日本語を話す時の精神年齢は同じ?

そして次に思うようになったのが、
「外国に来ただけではダメなのだ。
英語が話せるようになるにはさらにある程度の時間が必要なのであって、
だから時間をかければかけただけ、その分話せるようになるはず・・・!」ということ。


でも実際は、時間をかければ英語が話せるようになるわけでもないと、やがて気がついた。

いくら時間をかけたって、間違った方法で「勉強」を続ける限りは自分が英語を話せているという気がしない。

単語と文法の「勉強」だけを続ける限りは、何年何十年かけても英語は話せるようにはならない。

だってそこからは、人間が言語を身につけるときに経る最も自然な5つのステップの半分以上が、ごっそりと抜けてしまっているから。

★★★★★★

カナダに何年も何十年も住んでいるけれど、英語が話せない、英語のカルチャーなんてほとんど意識したことがない、なんて人はたくさんいる。

カナダに渡って自動的に私の頭の中に「カナダのカルチャーの中での」ものの見方や考え方が備わる・・わけもなく、
待望の「英語に囲まれた」生活を始めた私であったが、
身体はカナダにあっても、頭の中は完全に日本に置いてけぼり、であった。


英語に関して、日本の中学と高校で6年間をかけて私が学んだことと言えば、
「いかに(筆記の)テストで一問でも多く問題に正解するか。」
ということ。(日本人が英語を勉強する、二つの目的と、たった一つの勉強方法。

どう考えても、
「英語という”ツール”を使って他人とコミュニケーションをとること。」
では、なかった。

6年間という時間、いや私はそれ以上の時間をかけたにも関わらず、
「英語で他人に自分の意思を伝えること」なんて日本でほとんどしたことがない。

英語の単語や文法という「知識」だけを私の頭の中に入れても、
そこからは「知識」よりもっと大事な「経験」が抜けていたのだから、
単語や文法を覚えても覚えても、時間が経てば忘れていった。(「経験」が抜け落ちた英語学習で、英語は身につく?

日本だけでなく、バンクーバーでも、
ESL(語学学校)で英語を「勉強」していた時も、同じであった。

★★★★★★


いくら「No」という英単語を知っていたところで、
それを使えない限りは英語が話せることにはならない。

知ってはいても使えなかった"No"が、
"Noと言えない日本人"だった私が、
言えるようになったとき、
私は自分は英語が話せている、と感じられた。

時間をかけたから言えるようになったわけではない。

日本の”風船"”から脱出することができたから言えるようになった。
のである。


<関連エントリ:
努力と時間で英語は話せるように、なる?




    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ


       

日本人がカナダで一番セクハラを受ける理由。;つづき

カナダで一番セクハラに受けやすいのは、私の経験やカナダ人の友達の意見からすると日本人である(日本人がカナダで一番セクハラを受ける理由。)が、
では実際カナダにいる日本人の間にそのような問題意識があるかというと、
・・そうでもないんじゃないか・・・
という気が私にはする。

「セクハラに対する日本人の考え方」とは、
「セクハラを受けた側にもいくらかの過失がある。セクハラにあうこと自体恥ずかしいことだし、そのようなことを公にするのも恥ずかしいこと。」だから。

あまり表立って言う人もいないし、
日本人の間ではどちらかと言うと「タブー」とされるトピックではないだろうか。


問題は、その感覚のままカナダに行くと、カナダでは自分にどれだけの“権利”があるのかわからないので、
「変だな?」とは思っても、それが「カナダでは立派なセクハラになる」のだとは気がつかないこと。

だからイヤな思いをしても一人で抱え込んだりしてしまうし、

そもそもなぜ日本人がセクハラを受けやすいのかという、その理由が、日本とカナダのカルチャーの違いに起因するものだと気がついている人も、そう多くはないと思う。
(カルチャーとは?→英語を効果的に勉強する:1を参照。)


例えば日本では滅多にしないけれど、カナダではよく行われる、「ハグ」。

友達の話では、そのハグをセクハラに使う人も存在するようだ。

「Noと言えない、日本人のpolite(礼儀正しさ)」を利用して。


これまでに何度も書いてきたとおり、politeであることは日本ではものすごく重要かもしれない(friendlyとpolite 2つの文化の違い)が、
だからと言って、いくら相手がハグしてこようとしたからと言って、
こちらが「嫌だ」と思う限り、ハグを”しない権利”はこちらにある。

★★★★★★

私はカナダに渡る前に相談していたいくつかの留学エージェントに、
「カナダに行く前に何をしたらいいですか? 何を準備したらいいんでしょうか。」
と尋ねたことがある。

返ってきたのは、
「とにかく英語を勉強したらいいですよ。
単語を覚えたり、中高の教科書を復習したりしたらいいんじゃないでしょうか。
TOEIC対策の教材を勉強するっていうのもいいですね。」

・・・どこも同じ答え、
「単語と文法を勉強して下さい。」
だった。


でも日本人が海外に渡る前に必要なのは、本当にそんなことだろうか。

単語や文法を覚えてさえいれば、

自分が海外でどんなことに困る可能性があって、誰にアドバイスを求めて、どんなことに注意すればいいのか、

分かるものだろうか?


海外に行ってから初めてわかることなんてそれはもちろん沢山ある。

でも、行ってから、嫌な思いをしてからでは遅いものもある。

★★★★★★

私がまだバンクーバーでESL(語学学校)に通っていた頃、
家に向かって歩いていたときに、スーツを着た見知らぬ白人男性から声をかけられたことがある。

当時私はまだあまり英語が話せないし聞き取れなかったのだが、
彼に“どこから来たの?”と聞かれて、私が”日本”と言うと、
「アリガトー」とか「サヨナラ」とかいくつかの日本語を喋ってきたので、
私は少しほっとした(今思えば、彼の思惑にまんまとはまっている。)ことを覚えている。

続けて彼は英語で、”君はカナダにいつからいるの、何をしているの、英語の勉強?、今度遊びに行こうよ、電話番号教えて・・・”という風に、
私が何度も”Sorry?”(もう一回言ってもらえますか)と言う中でもイヤな顔一つすることなく、
質問をいくつもしてきた。

彼の質問に逐一短く応えながらも、「さすがにここで携帯の番号を教えるのはマズイだろう・・」と思った私は
”今携帯もってないです。番号も覚えてない。”
と何とか言った。

するとその人は”じゃあ僕の番号を教えるから電話して。いい?絶対だよ!”
と言って、紙に番号を書いて渡してきた。
彼の名前も一緒に。

”僕今度の火曜日ヒマだから、電話待ってるからね! ところで君の名前は?”

”Cocoです。”

”Ok, Coco! Nice to meet you!” (オッケー、Cocoね。じゃあね!)
と言って、彼は近くに停めていた車に乗り、去って行った。


彼が去ってから、私は思った。

日本でだったら、見知らぬ人から話しかけられても軽くかわすことができるはずなのに、
カナダではできなかった。

私に色々聞いてきて、いかにも怪しい人の話に耳を傾けてしまったし、携帯こそ教えなかったものの、名前を教えてしまった・・・。

しばらく歩いて家に着いた私は、もしもまだ彼がこの辺りにいて見られていたら・・・と怖くなって、その日は正門からではなく裏口から家に入った。


翌日ESLに行って、昼休みにたまたま早く教室に来ていた先生に、その話をした。

先生に”紙を見せて。”と言われたので渡すと、
”この名前、○○○(ある国の名前)系ね。その人マフィアだったかもしれないわよ。”
と言う。

私がびっくりして”マフィア!? な、何のために私に話しかけてきたの?”
と言うと、

”わからないけど、優しい顔をして近づいてきて外国に売り飛ばすとか、可能性はあるわよ。
いい、絶対電話しちゃだめよ。もうこの紙は捨てましょうね。”

と言われたので、私はその紙をビリビリに破いて捨てた。


「これからは道端で急に話しかけてくる人には注意しよう」と思ったが、
その後その男性を見かけることもなかったし、何事もなく過ぎていったので、
私は次第にその出来事を忘れていった。

今思うと、「いきなり話しかけてくる人、明らかにおかしいなと思う人に話しかけられたとき、どうすればよいのか」ということを
その先生に聞いておくべきだった、と思うけれど。


「日本でなら軽くできるようなことが、カナダだとできない。」

日本でも「NO」と言うなんて難しいのに、海外に行ったらいきなりできるようになるなんてことが、
あればよいのだが。


★★★★★★

カナダに渡る前、自分が「日本人だから」セクハラを受けることがあるかもしれないなんて、微塵も考えたことがなかった。

誰もそんなこと言わなかったし、
どこにも書いてなかったし。

だからエージェントに言われた通り、カナダに行く前にしておくことは「単語と文法の勉強」以外にはないのだとばかり思っていた。(と書くと、今後はセクハラについて言及するエージェントも出てくるのだろうかと、私は少し期待しているのだが。)


実際、自分がセクハラというものを経験したとき、当時個人で英語を習っていた先生に指摘されるまで気がつきもしなかったし、どうしてよいかまるで分からなかった。
カナダでセクハラを撃退した話。を参照。)


海外でセクハラを受けたとき、相手が利用しているのは「日本という"風船"の中に入っている日本人」なのだから、

私たちの方が変わらない限り、

カナダだけではなく他のどの国であったとしても、

日本流の考え方と行動の仕方を取り続ける限り、

今後も同じことが起こり続けるだろう。



*お知らせ*
私がバンクーバーで英語を習っていた先生が、日本でも英語を教えてほしいとの依頼を受け、また前回のレッスンの続きのために9月に再度日本に行きます。

「日本流の考え方と行動の仕方から抜け出すため」のレッスンを受けてみたいという方、王道ではない留学・ワーホリをしたい方がいらっしゃればご連絡下さい。

日本にいながらにして、英語のカルチャーを学び「経験」することができ、英語を効率的に早く伸ばす方法、余計なお金や時間をかけずに不安なく留学・ワーホリする方法なども含んだレッスン内容となっています。(日本でのレッスンを受けることでその後海外に行ったり、バンクーバーでもレッスンを受けなければならないといった制限はありません。)

携帯のアドレスだと、パソコンからのメールを拒否するように自動的に設定されていることがあるので、できるだけパソコンから閲覧可能なアドレスで連絡下さるようお願いします。

既にご連絡先をお知らせ頂いている方で、私または先生からのメールがまだ届いていないという方がいらっしゃれば大至急ご一報下さい。(私は先生の代理人でもなければ先生のオフィスの人間でもないので、レッスンの場所、日程や費用などに関するご質問は先生の方へ直接お願いします。)



    *お役にたちましたら、ポチッと応援↓いただけると、大変嬉しいデス♪*
クリックの数によって、順位が上がっていく仕組みです。(いつも応援ありがとうございます★)
 にほんブログ村 海外生活ブログ ワーホリへ



       

プロフィール

Coco

Author:Coco
カナダで~2012年ワーホリを経験。日本で何年勉強してもカナダで語学学校に通っても英語が話せなかったのに、バンクーバーで学んだある方法であっという間に英語が話せるようになりました。(ワーホリを終えてもTOEICのスコアを持っていなかったため好奇心で受けたところ970点でした)英語を暗記しても話せるようになるのは難しい。逆に、勉強方法を変えたら英語が話せるようになるのは簡単です。
現在は都内企業で翻訳の仕事に従事・英語レッスン主宰・留学カウンセラーの3足のわらじを履いています。忙しいですが、とても充実した時間を過ごしています。
私がブログに書いている自分の経験、とくに英語の勉強方法については、「こんなのウソに決まってる、アリエナイ」とのメッセージを頂いたこともあります。
「英語を暗記しない」、「英語は簡単」など、常識とは反対のことを言っていますのでそう思われる方もいらっしゃって当然だと思います。
「今のまま英語の勉強を続けても英語が話せている自分が想像できない」、
「留学やワーホリを考えているが、英語が話せないまま海外に行って本当に大丈夫なのか?」など、今までとは少し違う英語の勉強方法にご興味がある方。英語を使って仕事にボランティアに旅行に友達作り、自分のゴールを達成するワーホリ&留学がしたい方はご連絡ください。

◆ワーホリの王道(日本人が経験する「ワーホリの王道パターン」とは。)を行かないために、私がバンクーバーで受けていた「英語を暗記ではない方法で学ぶ」ユニークな英語レッスンについてはこちら→
  • 英語を効果的に勉強する
  • 【動画で説明】一般的な英語学習の問題点。なぜ母国語を習得するのは簡単で、外国語を習得するのは難しいのか。

  • ◆レッスンは現在カナダだけでなくフィリピンでも3泊4日の集中レッスンや1ヶ月の集中レッスンが行われています。
    ◆オンラインレッスンも始まりました!
    ◆レッスンをフィリピンで受けられ、現在カナダでワーホリ中のAmiさんのインスタとツイッター
    →いつも同じガイドブックじゃつまらない。AmiさんのInstagram
    →英語や現地の日々奮闘している生活情報。AmiさんのTwitter

    キーワード別記事

    検索フォーム

    かうんたー

    ブログランキング

    ぶろぐえんとり

    blogramで人気ブログを分析

    らんきんぐ